2015年4月9日木曜日

始まりの月



新年度が始まりました。
少し遅くなりましたが、本年度もよろしく御願い致します。

僕の目標であった2015年5月にお店をオープンさせるということは諦めざるをえなくなりましたが、今年の冬のオープンに向けて日々努力していきます。

3月色んなことがありました。5月のオープンに向けて何をしなければならないか、実行可能なことは何なのか、そもそも5月にオープンする意味はあるのか。

結果、僕は5月のオープンを諦めることを決めました。

当時の自分と向き合った時に大きな気づきがありました。

「50歳にして、コーヒーを淹れ続ける人になる」
これが自分がお店を出す大きな理由だと分かったからです。

これまではお店を出すことそのものが目的となっていた部分大きくあり、その結果いつか廃業するという可能性をどこかで受け入れていた自分が居たのだと感じています。

コーヒーによって殉職したというストーリーは「諦める理由」としても体裁が良いし、周りも自分も納得できるという言い訳をどこかで逃げ道にしていた自分がいました。

泥臭くても、格好悪くても50歳でコーヒーを淹れている自分に会いたい。
 今、50歳を越えてなおコーヒーと向かい続けている方の景色を自分も見てみたい。
5月の出店という事柄に向き合ったからこそ出てきてくれた新たな自分。

現在、30歳の僕が生んだこのknock coffeeがはたちになるまで、寝返りをうったり、一人で歩けるようになったり、言葉をしゃべるようになるまで赤ちゃんを見守るような気持ちで喜んでくれたり、たまに気にかけてくださったりと応援していただきたくこの文章を書いています。
人間一人を育てるために多くの大人の人が関わるように、僕ひとりの力ではknock coffeeは育てることはできないと思っています。どうかご支援をよろしく御願い致します。

4月新たなスタートの報告でした。

2015年2月26日木曜日

大したことない自分と、大した自分



なんだかうまく身体が動かなかったり、頭が動かなかったりする時があります。

大したことある自分と
大したことあると思っている自分と
大したこと在りたいと思っている自分と
大したことあると思われたい自分

それぞれ感覚と実態が微妙にずれていてその「ずれ」が身体や思考のバランスを
崩す原因になっているのではないかと最近気付かされました。

僕には大したことある部分と、大したことない部分(境界線があるというよりはグラデーションになっていると思いますが)とざっくり分けると2つあると思います。

大したことある思っていると自信満々ででき
大したことないと思っていれば挑戦になり
大したこと在りたいと思っていると大したことない自分に出会い、
大したことあると思われたいと思っていると大したことない自分が辛くなりました。


そんな僕は大したことない、大した奴になります。

2015年2月24日火曜日

knock coffee





3月1日 knock coffee 始動します。

まだ、店舗はありませんがこの5月にオープンします。
ふとなんでお店をやるのか、もう一度整理しておきたいと思います。
いつか一緒に働いてくれる仲間ができたとき、役に立つような気がするので。

1自己表現の方法
憧れを超えて自分も何かで自己表現することを「仕事」の一部にしたいと思うようになりました。小さい頃のコンプレックスやら、自分が一番自分らしくあった時を振り返ると結局自分をどう表現したいかに行き着きました。

2まちにかかわる
街をつくる一部になりたいのです。個人が見えるお店がたくさんある街はきっと楽しい。通勤前にマイボトルとおしゃべりのネタを持ってコーヒー淹れてもらいながらおしゃべりしたり、お迎えの前に明日の朝のパンを素敵なパン屋に買いに行ったり、仕事の帰りに気持ちも満たされるご飯を出してくれるお店があったりと。日常の何気ない出来事にひとが繋がっている感覚を持てる街は嬉しいと思うのです。その小さなつながりがあるということが安心な街をつくると信じています。


3自律及び自立
僕は、全部自分でやってみたい性格です。
自分を律して働き、その味や空間や時間を磨き、その対価として報酬をいただき
働き続けるための状況を整えることができて自立です。

毎日、100本ノックを受けるようにコーヒーをお客さんのために、たくさん淹れて少しずつでも上手く美味くなりたい、自分の中の次のドアを開いていきたいという気持ちをずっと持ち続けていこうという願いからこの名前にしました。

どうぞ、よろしくお願い致します。

2015年2月13日金曜日

満たされないからこそ

満たされないからこそ、そこに協働する価値や分業(ビジネス)が起こると思います。
何が満たされていないかは別として、満たされていないものを満たしてくれるサービスや商品、満たすための時間をつくるために何かを替わってくれるものなどもこれに含まれます。

コーヒーという飲み物やカフェという場所もまたそうなはずです。

誰かの満たされなかった何かを満たす一部となり、ここに友達や仲間と来なければ、話さなければ生まれなかった感情や時間だってあったと思いたい。

要はちょっとだけ元気湧くよってなものをコーヒーやお店で表現したいです。

ひるがえって僕は満たされているのか、満たされていないのか考えました。

まだ、満たされていないのです。
今日はお客様のほとんどがサラリーマンで昔の自分を見るような気持ちになっていました。会社員を辞めるの日に先輩が開いてくれた送別会は居心地の悪さから早く逃げたい気持ちでいっぱいだったのを思い出しました。
「どんなに理想を語ろうと、僕はそこから逃げた。」と思われているのがたまらなく悔しかった。だから見返してやろうと気持ちでスタートした。どこかコンプレックスを力に変えやってきた。でも、それよりも楽しさや自分への期待のが大きくなっていきそいつは鳴りを潜めていてくれていたのだが、今日また出てきてしまった。
僕はまだ、満たされてはいなかったのだ。

 見返してやりたいと今でも思っているのだ。
満たされていない僕を満たすのは何か。
満たされていない自分がいるということをさらけ出すことがまず、できることかな。

2015年2月7日土曜日

生まれて初めて


「生まれて初めてそれをおこなう」みたいに。

こんな風にコーヒーを淹れたい、人と接したいなあと思う。
嬉しくて嬉しくてたまらないよ〜って具合に。


あどけなさと力強い確信と期待、見ていると危なかしいのだけれど
いつまでも見ていたい、まるで子どもの遊びのようなそんな気持ちになる。


そんな自分を見てみたいです!
不完全であることを肯定して、
いつまでも自分に期待して
生きていきたいのです。

2015年2月4日水曜日

未来の自分に励まされ


調子が悪くなった時、 来年の今日、自分は何をしているかを勝手に想像し「わくわく」しています。そうすると、今の現状にやるべきことが見えてきて少し冷静になれます。

今日ここでお店をやりたいと思っている物件の大家さんに断られました。
駅前のその物件は取り壊され、コインパーキングかアパートになるのでしょう。
僕はその映像を想像した時、わくわくも心も躍らない。

またゼロからやり直しですが、来年の今日僕は美味しいコーヒーを出すお店を開いています!それはどんな場所にあって、どんな人がお客さんとなってくれて、僕はどんな味を美味しいと思ってお客さんに提供するのか、なんて思いを巡らすともう今日の挫折に感謝し始めている自分がいたり。

本当にお陰様です。

挫折した瞬間に逆転満塁ホーマーの予感。が当たるから不思議。
世界は都合よくできていますね。

knock coffeeは次の扉を開きにいきますよ!